”博士と狂人” オックスフォード英語辞典誕生秘話

書籍

”オックスフォード英語辞典”をご存知でしょうか?
英語で使用されている単語をくまなくまとめた大辞典です。

各単語の”現在の意味や用例”だけでなく、その単語の”語源”、どういう変遷を経て今の形に至ったのかなど、1つの単語の歴史的経緯をも含めた情報をまとめています。

1つの1つの単語にそれだけの情報を加えながら、収録した単語の総数はおよそ60万語!!
本体20巻(計21,730ページ)に加え、補遺(ほい)も3巻(1,022ページ)出ています!!
※補遺というのは、後から漏れた情報を補足するために発刊されたものです。

完成までに70年以上を要したその大事業には、ある”博士と狂人”の秘話がありました。
”オックスフォード英語辞典”完成に貢献した二人の人物のお話です。

今回紹介するエピソードは、『博士と狂人』(著:サイモン・ウィンチェスター)という本を参考にしました。

映画化もされてます!
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”博士”ジェームズ・マレー

”博士”こと、ジェームズ・マレーは1837年にスコットランドに生まれました。
若い時から勉強が大好きで、あらゆる語学を独学で学んでいきました。

15歳のときには、ラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語を実用的なレベルまで習得していたそうです。”ヘンタイ少年”ですね(^^;)

しかし、ジェームズ家は子供を進学させるほど裕福ではなかったため、進学を諦めます。
むしろ”大学全入時代”と言われる現代の日本がかなり恵まれているのでしょうね。

マレーはその後も独学で言語を学び、”アマチュア言語学者”として名を馳せ、”本物”の言語学者と知己となり、言語協会に入会します。こうして、マレー自身も”本物”の言語学者となります。

英語大辞典作成プロジェクト

19世紀当時のイギリスは世界を席巻する”大英帝国”の時代です。
キリスト教を世界に普及するように、女王陛下の言語(英語)を理解させる一助とするという目的で大辞典を作ろうと言語協会は考えます。「支配言語である我らの母国語を理解させるため」という愛国的な動機がきっかけでした。
当時、”辞典”というものは既に存在していましたが、既刊の辞典は不十分な作りでした。

新たな大辞典の出版元となるオックスフォード大学は、ジェームズ・マレーを編纂主幹とすることを認めます。編纂主幹となったマレーは、この世紀の大事業を行うにあたり、アマチュアからの協力を呼びかけます。

アマチュア協力者から、その人が読んだ本で使用されている単語、その単語を使用した一文(用例)をカードに書き写して郵送してもらうという協力内容でした。こうすることで、世界中の英語話者から数多くの用例が届けられます。

協力者はアマチュアなので、採用できるレベルにないものが多くありました。この方法自体、量で質を補う作戦なので仕方ないことですね。
そんな中、ずば抜けて優秀なアマチュアがいました。多くの用例を送り、量もさることながら質もずば抜けて優秀でした。その送り主こそ”ウィリアム・マイナー”でした。
マレーは、マイナーに対して返信、彼に対しては具体的な単語を指定して用例を送ってもらうように協力を依頼しました。情報が不足している単語について協力を求めるのです。

”狂人”ウィリアム・マイナー

”狂人”こと、ウィリアム・マイナーはアメリカ人キリスト教宣教師の子供で、アジアのセイロン(今のスリランカ)で生まれました。マレーとは違い、いわゆる”上流階級”と言える裕福な家庭で育ちました。

幼少期をアジアで過ごしたこともあり、マレーはビルマ語やヒンディー語、タミール語、中国語などの知識を得て育ちました。

アメリカに帰還後、名門イエール大学を卒業します。
この時代のアメリカは”南北戦争”の真っ最中の時代でした。北軍はマレーのような北部出身で名門大学を卒業した人材を欲していました。

そしてマレーは北軍に入隊、陸軍外科医として活躍します。しかし、凄惨な戦いに巻き込まれ徐々に精神を病んでいき、軍人としての活動が不可能となります。
軍は、「精神を病んだのは戦争の結果であり、足を怪我して歩行困難になったのと同じである」として除隊を認め、彼の国への奉仕に報いるため、彼への生涯に渡っての年金を保障します。

ロンドン渡航、そして殺人事件

軍を除隊した後、精神を休ませるため、ウィリアム・マイナーはヨーロッパに旅行に出かけます。
そしてイギリスに渡り、ロンドンに滞在中、事件を起こします。”殺人事件”です。

マイナーは夜中に「男に襲われた」と錯乱します。「殺してやる!」と思い、男を追いかけて部屋を飛び出します。そして男を銃で殺害しますが、その男は別人でした。
そもそも「夜中に男に襲われた」というのもマイナーの妄想でした。殺された男性は、マイナーが飛び出した時に、たまたまそこを通りがかっただけでした。
マイナーも「違う人を殺してしまった」という認識はあり、その後も罪の意識を持って、未亡人となってしまった男性の妻に謝罪と金銭的援助を申し出ています。

この事件の裁判の結果、マイナーは精神疾患により事件を起こしたとして、”精神病棟”(精神を病んだ犯罪者の収容先)に無期限に留置されることになりました。

錯乱していない時のマイナーは上流階級育ちのエリートらしく紳士的な素行だったため、特別待遇を享受し、好きな本を入手、部屋も自由に使用できるようになりました。しかし、敷地外への外出だけは叶わぬ夢でした。

英語大辞典作成プロジェクトへの協力

ある日、マイナーは、入手した本に挟まれた、オックスフォード大学からの辞典編纂に関する協力依頼の情報を目にします。
マイナーの生活は、本はいくらでも手に入り、部屋を自由に使うことはできるが、病棟の敷地から出ることは決してできない境遇でした。”これこそ自分のなすべきことだ”と感じたマイナーは、積極的に用例を集めて、カードをオックスフォード大学に郵送することが日課となりました。

博士と狂人の対面

ジェームズ・マレーは、ウィリアム・マイナーが精神病棟からカードを送ってきているとは思っていません。
辞典編纂作業で多忙なマレーにはマイナーを訪ねる時間をなかなか作ることができませんでしたが、協力開始から20年の時を経て、ついに長年の協力への感謝を伝えるべき時がきました。
マレーはマイナーに会いに行くことを決心すると、その旨と汽車の到着時間をマイナーに手紙で伝えました。

当日、駅に着いたところ、マレーを出迎える馬車がありました。「マイナーはさぞ裕福な方なのだろう」と感じるマレー。そして馬車が到着した先は、個人の家とは思えない大きな建物。また、厳重な警備に戸惑うマイナー。

こうして”博士と狂人”の対面シーンが始まります。

続きは、ぜひ本作品を確認してみてください!

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