サビニ女の略奪 ローマ初期の民族紛争と仲直り

ローマ史

建国間もない頃のローマの人口は多くが男性、女性が極端に少ない状態でした。女性が少ないことは国家危機に直面する問題です。子供を産む女性の数が少ないのですから、いずれローマの人口は減少し、滅亡することは明らかでした。
そこでローマが取った行動は、近隣の国から女性を奪い取るというものでした。これが「サビニ女の略奪」と言われる誘拐事件です。

初代国王・ロムルスの建国

初代国王・ロムルスはアルバ・ロンガの王家の生まれでした。彼は、生まれてまもなく王家の内紛に巻き込まれますが、命長らえ、王位を略奪した僭王を倒します。真の王である自身の祖父に王位を戻した後、自分の国を建てるためアルバ・ロンガを去ります。そして、建国したのが「ローマ」という国でした。

もう少し詳しい経緯はローマの建国神話に内容をまとめました。

女性が少ない建国時のローマ

建国したローマですが、建国の王・ロムルスがアルバ・ロンガから引き連れてきたのは男性、「無」の状態から国を興そうというのですから当然のことと思います。
新たにできた国ですから、周辺から「国を追われたならず者」、「主人のもとから逃げてきた奴隷」などが保護を求めて入国し、ローマの人口は増えますが多くは男性です。

このままでは新たな市民となる子供が生まれず、一代限りで国が滅亡することは明白でした。外国から嫁入りしてもらおうとサビニなど近隣の勢力と交渉しますが失敗に終わります。

ローマが取った強硬手段

交渉が決裂し、話し合いではらちがあかないことを悟ったローマ王・ロムルスは強硬な手段に打って出ます。それが、交渉が決裂しているサビニ人から女性を誘拐することでした。

ローマはサビニ人女性を騙すような形で誘拐し、無理矢理ローマ人の妻としました。
大切な家族を奪われたサビニ人は当然黙っていません。両国は対立、やがて戦闘に発展します。

サビニ人女性の仲裁と両国の和解

戦闘に突入した両国ですが、そこで仲裁に入った人たちがいました。なんと誘拐されたサビニ人女性たちが両国仲裁したのです。
彼女らにとって、サビニ人たちは両親や兄弟でしたが、無理矢理結婚させられたとはいえ、今はともに暮らし、我が子もできたローマ人もまた、彼女らの家族でした。
このような環境の変化が、彼女たちの考えを変えさせたのでしょう。今や両国の争いは彼女らにとって、家族同士の殺し合いでした。

サビニ人女性たちを争ってのローマとサビニの戦争でしたが、当の女性たちに仲裁され、両国は和解。やがて1つの国に統合されていきました。

「雨降って地固まる」という流れで統合した両国、その後のローマの王は2代目サビニ人、3代目ローマ人、4代目サビニ人と、ローマ人とサビニ人が交互に王位に就きました。

ちなみにローマの王政は7代目まで続きますが、5代目以降はエトルリア人が王となります。

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