EU発足は戦争の反省?

近現代史

政治的にも、軍事的にも、世界のニュースでEUの動向は必ず注目されます。アメリカや日本と歩調を合わせ、サミットにもEU加盟国とは別に”EU代表”としてEU大統領が出席したりしています。
近年では、ブレグジット(イギリスのEU離脱)でも連日、世界的なニュースとなっていました。コロナの嵐が吹き荒れる今となっては懐かしい話です・・・。

では、そもそもEUという組織は何なのでしょう?
その生い立ちから簡単に歴史を調べてみました。

ドイツとフランスは仲が悪かった?

世界大戦と呼ばれる戦争は過去、第一次と第二次の二度起きました。ヨーロッパはいずれの戦争でも戦場となり、多くの命が失われました。

戦争の原因は何だったのでしょう?なぜ、ヨーロッパの国々は戦争を繰り返してしまうのでしょう?
ヨーロッパの人たちは過去の反省からそのことを考えました。

世界大戦と言われるように、世界を巻き込むほど大きな規模の戦争となりました。多くの国々の利害が入り乱れて対立は激化していきますが、その代表的なものが”ドイツとフランスの対立”ということにヨーロッパの人たちは思い至ります。

なぜドイツとフランスが対立するのか?それは、両国の国境近くに”アルザスロレーヌ地方”という重要な場所があるためです。両国はその地方を奪い合ってきました。
アルザスロレーヌ地方には何があるのか?そこは、”石炭と鉄鋼”が多く採れる地方でした。
彼らは思います。
「この奪い合いをなくさない限り、いつまでも戦争の火種がくすぶり続けるぞ!」

この対立をなくすため、当時国であるドイツ、フランスに加え、4つの中立国を合わせて計6ヶ国でこの地方の石炭と鉄鋼を共同管理していこうというアイデアが生まれました。
その結果、1952年に”ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)”が誕生しました。

このECSCが発展して後の”EU誕生”につながっていくのですが、この発足最初の6ヶ国、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリアの6ヶ国を指して”ベイシック・シックス”と呼びます。

ECSCの成功と別分野への拡大

ECSCを通じた6ヶ国の石炭・鉄鋼の共同管理は成功しました。
6ヶ国は思います。
「共同管理するこの手法は、石炭・鉄鋼以外でもうまくいくのでは?」

1957年、6ヶ国は、新たに2つの機関を設立することに合意します(ローマ条約)。
経済統合を目指した”EEC(欧州経済共同体)”と、
原子力の共同管理を目指した”EURATOM(欧州原子力共同体)”が設立されました。
(EURATOMは”ユーラトム”と読みます。)

3つの機関を統合

ここまでに完成した3つの機関(ECSC、EEC、EURATOM)は、同じ加盟国による機関ですが、それぞれ独立した機関でもあります。
1967年、6ヶ国は、これを統合して1つの執行機関で運営することに合意しました。(ブリュッセル条約。通称”合併条約”)

こうしてECSC、EEC、EURATOMを統合して”EC(欧州共同体)”が誕生します。

加盟国の拡大

結びつきを強める6ヶ国ですが、他のヨーロッパ諸国も新たに加盟して、規模は拡大していきます。

1973年、イギリス、デンマーク、アイルランドが新たに加盟。加盟国は9ヶ国となりました(第一次拡大)。
1981年、ギリシャが加盟。加盟国は10ヶ国となりました(第二次拡大)。
1986年、スペインとポルトガルが加盟。加盟国は12ヵ国となりました(第三次拡大)。

そして、1989年、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合します。

EUの誕生

1992年、EC加盟国は、統合する分野を更に広げ、経済、通貨、政治も連合していくことに合意します。(マーストリヒト条約)
翌1993年、ECを発展させた新たな機関が誕生します。それが”EU(欧州連合)”です。

1995年には、オーストリア、スウェーデン、フィンランドが加盟します(第四次拡大)。

ユーロの導入、東ヨーロッパへの拡大

2002年、EUの共通通貨”ユーロ”の流通が始まりました(イギリスなど、一部加盟国はユーロには参加しませんでした)。
2004年には、旧社会主義国である東ヨーロッパ諸国を含む10ヶ国が新たに大量に加盟することになりました(第五次拡大)。
この時加盟した国が、チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、スロベニア、エストニア、リトアニア、ラトビア、マルタ、キプロスです。

2007年にはルーマニアとブルガリアも加盟します。

欧州憲法の成立

2004年、当時の加盟国25ヵ国は、欧州憲法条約に合意し、欧州憲法創設を目指します。
欧州憲法創設に向けたこの最初の動きについては、途中で頓挫してしまいます。
2005年にフランスとオランダで、国民投票で否決されたためです。
*なお、条約は代表間で合意がなされても、それぞれの国で”批准”というプロセスを経る必要があります。

この両国の国民投票での否決を受けて、条約を修正し、締結・発行に至ります。(リスボン条約。通称”改革条約”)

2012年には、”EU”という機関として”ノーベル平和賞”を受賞しました。
そもそも戦争回避を理念に生まれた組織、受賞は当然のものかもしれませんね。

2013年にはクロアチアが加盟、これでEUは28ヵ国体制となりました。(第六次拡大)

ブレグジット(Brexit)

2016年、イギリスでEU離脱の是非をとう国民投票が実施されます。
前評判を覆して、なんと離脱賛成が多数となりました。
いわゆる”ブレグジット(Brexit)”です。ちなみに”Brexit”は、”British exit”の略です。

この国民投票は、本当は賛成ではない人が、現政権への不満であえて賛成票を投じたので、「もう一回やり直せ!」という人が多いとか何とか言われていますが、個人的には”栄光ある孤立”というイギリスの歴史的歩みを鑑みると、当然の帰結だったのかも、と思います。イギリスはそもそもユーロにも参加していませんでしたし。(ユーロへの参加=量的緩和など独自の通貨対策ができなくなる)

2020年、イギリスは正式にEUを離脱しました。

EUの現在

イギリスが離脱した2022年現在、EU加盟国は27ヵ国、加盟国総人口は約4億4700万人と推定されています。

民主主義陣営ではアメリカに次ぐ力を有するEU、中国やロシアなど力による現状変更を是とする国々が台頭する昨今において、同じ民主主義陣営の日本にとっても、EUは今後もますます重要なパートナーとなります。




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