以前、ローマを建国した初代王の話を書きました。
更に歴史を遡り、彼らの祖先の話を調べました。
ローマ建国の物語は、”トロイの木馬”で有名なトロイア戦争につながりました。
この戦争に参加した、ギリシャ神話の英雄・アイネイアスという人物がイタリアに逃れたことがそもそもの始まりだったそうです。
アイネイアスについてとトロイア人のイタリア移住の経緯についてまとめました。
なお、初代王・ロムルスの話は下記の記事にまとめています。
トロイア戦争
ローマ建国を遡ると、ギリシャ神話で有名なトロイア戦争に行き着きます。
トロイア戦争は、その勝敗を決定づけた”トロイの木馬”という策略が有名です。この策略は現在でもIT用語として使用されます。メールに添付して相手のPCにウイルスを送り込む手法のことですね。
戦争の発端
さて、トロイア戦争の発端ですが、これは3人の女神の間で、誰が一番美しいかを争うことから始まります。
3人の女神、ヘラ、アテーナー、アフロディテはみんなとても美しく、一番を決めることができません。
ギリシャ神話の最高神・ゼウスは、この結論をトロイアの王子・パリスに判定させることにしました(”パリスの審判”と言われます)。
3人の女神は、パリスに自分を選んでもらうよう、それぞれあるものを与えると約束しました。
ヘラは「世界を支配する力」を与えると約束しました。
アテーナーは「いかなる戦争にも勝利する力」を与えると約束しました。
アフロディテは「世界で一番美しい女」を与えると約束しました。
パリスが選んだのは、「世界で一番美しい女」を約束したアフロディテでした。(誰が一番美しいかではなく、賄賂の内容で決めちゃってますね^^;)
アフロディテの言う「世界で一番美しい女」とは”ヘレネ”という女性のことでした。パリスは、ヘレネを妻に迎えることに決めました。
(美しさで争ってたのに一番美しい女は3人の誰でもないんかい!?)
しかし、ヘレネはすでに人妻でした。彼女はギリシャの都市国家・スパルタ王に嫁いでおり、王妃という身分だったのです。
女神・アフロディテの確約を得ていたパリスは構わず王妃・ヘレネをスパルタから誘拐しました。
(ちなみに誘拐はスパルタ王の不在中に行われたそうです)
妻を誘拐されたスパルタ王は、激怒。彼には女神・アフロディテとパリスの約束など関係ありません!
スパルタを含むギリシャはトロイアに攻め込むために軍隊を招集、スパルタ王妃を奪還するための戦争に突入しました。
この戦争で、パリスにヘレネを与えると約束したアフロディテの息子・アイネイアスがトロイア側として参加しています。
巨大な木馬
戦争となったトロイア軍とギリシャ軍ですが、強固な城塞に籠もったトロイア軍をギリシャ軍はなかなか攻め落とすことができません。
そうして、この戦争は長期戦となり、決着がつきません。
先の3女神の争いで敗れた女神の一人・アテーナーは、自分を選ばなかったトロイア王子・パリスを恨んでいました。彼女は、ギリシャ軍に戦争に勝利してもらうため、ある策略の入れ知恵をしました。(知将・オデュッセウスの考案だったとも言われます)
その策略は、「巨大な木馬を造り、内部に兵を潜ませる」というものでした。ギリシャ軍はこれを実行に移します。
巨大木馬を造って兵を数名潜ませ、残りの軍勢は夜の間に、後方に移動し、トロイア軍の前から姿を消しました。
翌朝、トロイア軍は目の前からギリシャ軍が消え失せ、あとには巨大な木馬が残っていることを発見しました。
ギリシャが残して逃げた巨大木馬をトロイア軍は戦利品として城内に運び入れることにしました。
そして、勝利の宴が始まります。
戦争の終結
トロイアの人々が寝静まった頃、木馬の中から隠れていた兵士が木馬の外に出てきます。そして、密かに城門を開きます。
城門の前に戻ったギリシャ軍が、開かれた城門から一気に城内になだれ込みます。敗走した敵軍に寝込みを襲われたトロイア軍に抵抗できるはずもありません。
トロイアの人々は大勢殺され、生き残った者は捕らわれて奴隷として売られていくことになりました。
アイネイアス放浪の旅
この戦争にトロイア軍として参加していた女神・アフロディテの息子・アイネイアスもこの戦闘で負傷します。しかし、女神である母・アフロディテの助けもあって一命を取り留め、トロイアから逃げ出すことができました。
アイネイアスと生き残った一部のトロイアの人々は、放浪の旅に出ます。地中海を西に落ち延びていった彼らはイタリア半島に上陸し、”ラティウム”という地に辿り着きます。
新たな拠点
ラティウムの人から見れば、突如東方からよそ者が現れたことになりますが、ラティウムの王・ラティヌスは、アイネイアスとトロイアの一行との戦闘を避け、共存することを選びます。そして、アイネイアスはラティヌス王の娘・ラウィニアを妻として迎えます。
ラティウムの王はよそ者に寛大だったかもしれませんが、周辺部族も同じとは限りません。いつの時代も、どこの国も、よそ者には冷たいものです。
トロイアの人々に反感を抱く人たちの中でも周辺部族の王の一人、トゥルヌスの怒りは尋常ではありませんでした。なにせ彼はラティヌス王の娘・ラウィニアと結婚する予定となっていたのです。
よそ者に婚約者を奪われて恥をかかされたトゥルヌスはアイネイアス一党に戦いを挑みます。
ラティヌス王も参加したこの戦いは、最終的にアイネイアスの勝利に終わりますが、ラティヌス王は命を落としました。
同盟関係を固くするラティウムとトロイア残党
ラティヌス王という偉大な王を失ったラティウムとトロイア連合ですが、トゥルヌスより更に強大な敵が立ちはだかります。
それが、エストニアという国で、国力はラティウムより大きいものでした。
より強大な敵を前にして、ラティウムに元々いた部族とトロイア残党のアイネイアス一行の同盟関係はより強固となり、”ラテン”国家としてその歴史を築いていくことになります。
2つの異なる民族が、この1つの共同体を築いたということが、後にローマが他の民族を融合して、多民族国家として栄えることに繋がるのかもしれません。
まとめ
ローマ建国につながる物語は、ギリシャのトロイア戦争に繋がります。
トロイア戦争を生き残った”アイネイアース”はイタリア半島に逃れ、現地の勢力の一つであるラティウムと同盟関係を築きます。
周辺の敵対勢力と争っていきますが、このラティウム・トロイア残党勢力が1つの共同体を築いたことが、後のローマ建国に繋がっていきます。
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