子どものとき、歴史を学んで「こんなことが将来なんの役に立つんだ?」と思ったことはありませんか?
私は歴史の勉強が大好きで、言われなくても(言われた以上に)一生懸命勉強しましたが、友達なんかは「昔の人が何したかなんて関係ねえし」なんて言ってましたね。。。
私も自分が苦手な数学に対しては、「二次方程式なんて社会に出て使うことあるの?」など、少し思ったような気がします。
みなさんも、学校で学ぶ科目について、似たようなことを考えられたことがあるのではないでしょうか?
今回紹介する、『お金持ちはなぜ、「教養」を必死に学ぶのか?』というタイトルを見て、読まずにはいられませんでした!
それでは、『お金持ちはなぜ、「教養」を必死に学ぶのか?』を紹介させてください。
そもそも「教養」とは?
まずそもそも、「教養」とは一体なんなのでしょう?
著者の加谷珪一さんは、教養を以下のように定義しています。
「物事の本質を見極めるための総合的な知識や考え方が、人格や行動に結びついたもの」
『お金持ちはなぜ、「教養」を必死に学ぶのか?』(はじめに)
「教養」について大事なのは、学んだ知識や考え方を、人格や行動に結びつけることだということです。「何年に誰それが何それをした」というような知識を知っているだけではダメということですね。
人格・行動に結びつかない知識はマウントおじさん?
これについては、知識をひけらかすマウントおじさんなどが思い浮かびますね。
おじさんに限らず知識をひけらかせている人がみなさんの周りにもいるのではないでしょうか?
私のまわりにもいます。
彼らは「モノシリ」ではあるかもしれませんが、この定義に照らした場合、「教養がある」とは言えないかもしれませんね。
マウントを取ることを目的に本を読んでも虚しいと思います。
かくいう私も気づいていないだけで、後輩などに知識をひけらかせているかもしれません。
後輩は、「うっとうしいマウント野郎」と思っているかも・・・。
自らを顧みなければいけません^^;
金持ちは子どもの「教養」を磨かせる
この本のタイトルのとおり、富裕層は「教養」の大切さを知っており、自分の子どもたちに「教養」を磨かせます。
目先の情報ではなく、この社会の原理や法則を理解することの方がずっと重要、それを見極める能力こそが「教養」なのです。
本書の構成
本書では教養を科目ごとに6章に分けて解説しています。
- 社会学・・・社会の仕組みを知ることは、成功の最低条件
- 経済学・・・経済学的なモノの見方がビジネスや投資にどう役立つのか解説
- 数学・・・・大事なのは数学ではなく、数学的センス
- 情報工学・・必要なのはプログラミングではなく、IT的センス
- 哲学・・・・人を知らなければコミュニケーションはうまくいかない
- 歴史学・・・歴史は人々の行動の集大成。先を見通す近道
これまで何のために学んでいたか疑問に思っていた科目がなぜ重要なのか、この解説をみることでこれからの学びのモチベーションも上がることでしょう!
目的がわからない勉強=何をつくっているかわからない料理
東京大学の数学の先生・西成 活裕さんも数学についての著書の中で、文系の人が数学を挫折する一番の理由として「何がゴールなのかわからないまま授業が淡々と進む」ことだと指摘しています(『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』(著・西成活裕))。
西成先生はこれを料理に面白く料理に例えています。
「じゃがいもと人参、玉ねぎを乱切りにして!」
『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』(著・西成活裕)(コラム 東大の先生、料理を語る。)より
「牛肉を炒めて!」
「水入れて煮込んで!」
「味付けて!」
「肉じゃが〜完成!」
「やれやれカレーつくってるのかと思いましたよ・・・」
「何をつくらされているのかわからないまま次々に単元をこなしているのが今の学校教育です」
さあ、この本の解説を読んで、「教養」を身につけることの意味を理解しましょう!
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