第二次世界大戦を描いた映画やドラマなどで、ナチスは「第三帝国」の創設を目指している。ナチスが掲げたドイツの「第三帝国」とは何なのか?「第三」があれば、「第一」と「第二」はいつのことなのか?調べてみた。
第一帝国は「神聖ローマ帝国」
「神聖ローマ帝国」は、9世紀頃から19世紀の初めまでに今のドイツ・オーストリアあたりにあった国。
「国」と言っても、現在の「国民国家(Nation-state)」とは違うみたい。「神聖ローマ帝国」という国がありながらも、実態は大小様々な領主が300以上、独立してそれぞれの領地を治めるような状況。
日本の戦国時代のような状態かな?日本の戦国時代も各勢力は、儀礼上は朝廷や室町幕府を敬うが、誰も言うことを聞かない状態だったみたいなので当たらずといえども遠からず?でも大陸だと外の勢力と陸続きになっているのでより複雑なのかも・・・。
ローマを支配下においてないのに「ローマ」と名が付くことに違和感。建前上は、古代ローマの後継ということらしい。当時も違和感があったのか、フランス人の哲学者・ヴォルテール(1694-1778)という人は「神聖でなく、ローマでなく、帝国でない」という皮肉を言ったらしい。ローマてもなく帝国でもないのは事実だろうけど、「神聖でなく」は面白いけど、そこは各々の主観の問題だから許してあげましょうよ(^^;)
第二帝国は「ドイツ帝国(帝政ドイツ)」
「ドイツ帝国(帝政ドイツ)」は、ドイツを統一したプロイセン王・ヴィルヘルム1世がドイツ統一国家として1871年に建国した国。日本に例えると、隼人(九州)や吉備(中国)、蝦夷(東北)などを破って大和が統一国家・日本を作るようなものかな?この統一については、戦国時代には例えられないな。どんなに世の中が乱れても、形式上は天皇という日本人共通の主君がいるから。
ドイツ帝国は「鉄血宰相」の異名を持つ初代宰相のオットー・フォン・ビスマルクが有名ですね。
建国された19世紀後半は日本では明治維新が起きた時代。1873年に岩倉具視の遣欧使節もドイツ帝国を訪問し、ビスマルク主催の晩餐会にも招待されたそう。
初のドイツの統一国家として国づくりを行うドイツ、国民国家として新しい国づくりを行う日本の要人は学ぶことが多かったことでしょう。
1918年、第一次世界大戦で敗れたドイツ国内で革命運動が起き、皇帝は国外に亡命、帝政ドイツは倒れました(「ドイツ革命」)。
ヴァイマル共和国
1918年に起きたドイツ革命を経て、1919年にヴァイマル共和国が建国されました。帝国を打倒して建国された国だけあって、制定された憲法(ヴァイマル憲法)は第一条に「国民主権」を掲げるなど、当時としてはかなり民主的なものだったそうです。
民主的な体制ができあがり、ナチス政権はその民主的なプロセスを経て、徐々に専政化したというのは覚えておいた方がいいかもしれません。
帝国を打倒して樹立した政権ですが、第一次世界大戦後に課された賠償金が免除されるわけではありません。条約で決まった国と国との約束は、政権が代わっても無効化しないのです。
戦勝国に支払わなければいけない賠償金ですが、ハイパーインフレーションの発生などで経済的に苦しいドイツ政府は期限内に賠償金を支払うことができません。それに納得しないフランスはドイツの最重要工業地域のルール地方を占領してしまいます。ドイツにおける対フランス感情が悪くなるのは仕方ないでしょう。
外国への多額の賠償金で苦しい状況で更に領土を不当占領される中、ナチスへの期待がどんどん高まっていくのは当然の帰結かもしれません。
政権を掌握したナチスは、ドイツ民族による三度目の帝国として「第三帝国」樹立を目指していくことになります。
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