ウクライナ ロシアに翻弄され続けた歴史

近現代史

2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻しました。
2000年代、私は「国と国が戦争をする時代は終わり、現代はテロを恐れる時代だ」と思っていました。
その認識はあまりに甘かったようです。

ウクライナといえば、大統領選の際、候補だった人の顔が別人のようになるニュースがあったり、大統領が国外逃亡したり、ロシアが以前も不当に領土を奪い取る暴挙を行うなど、断片的な大ニュースが数年おきにありました。

改めて、情報を整理してみました。

ウクライナとはどんな国?

ウクライナの人口は約4130万人、首都は現在、連日ニュースになっているキエフ(人口約300万人)という都市です。

9世紀から13世紀頃、この辺りには”キエフ大公国”という国があり、これがウクライナの起源とされるそうです。キエフ大公国自体は、13世紀、モンゴル帝国の侵略で滅亡してしまいます。

ウクライナの有名人には、ミランやチェルシーで活躍したサッカー選手、シェフチェンコが有名です。
相当格闘技が好きな人であればイゴール・ボブチャンチンという選手を知っている方いるかもしれません。私は彼の入場曲が好きでした!
ちなみに大鵬の父はウクライナ人、伝説の大横綱にもウクライナの血が流れていたんですね。

ロシアに支配され続ける

ウクライナは長い間、帝政ロシアの支配下に置かれました。そこでは、ロシア人と同化させる”ロシア化”政策が実行されます。
しかし、帝政ロシアは”ロシア革命”により崩壊、共産党によるソビエト政権が誕生します。

帝政ロシアは崩壊後、ソビエトもまた、ウクライナを支配下に置こうとします。
戦いの末、またしてもウクライナはロシア(ソビエト)の支配下に置かれ、ウクライナは社会主義国の一員として、ソビエト連邦の一部を構成することになります。

独立と親露・親欧の争い

そのソビエト連邦も1991年に崩壊します。
ウクライナはようやく独立を果たします。

それでもこの国はロシアからの呪縛から逃れることはできません。
民主化後もロシアと仲良くしようとする親露派(ロシアの子分)と欧米と仲良くしようとする親欧派(欧米の仲間に入れてもらおう)の間でずっと争いが続いてきました。

2004年大統領選挙とオレンジ革命

2004年の大統領選挙は親露派のヤヌコーヴィチ氏と親欧のユシチェンコ氏の争いとなりました。
大統領選挙の最中、思いもよらないことが起こります。
美男子で知られたユシチェンコ氏の顔が膨れ、あばただらけとなり、別人のような顔立ちとなります。
親露派により毒を盛られたのではないかと噂されていますが、今となっては真相はわかりません。

選挙の結果は、親露派の”ヤヌコーヴィチ氏の勝利!”と発表されました。
これに市民が大激怒!「そんなはずがない!」
暴徒と化した市民が議会に乱入する大騒ぎとなります。

EUもアメリカも、「大規模な不正があった」と指摘しました。ロシアによるヤヌコーヴィチ支援の疑いがあります。
結局選挙はやり直し、親欧米のユシチェンコ氏の逆転勝利となりました。

一連の政治事件を、ユシチェンコ氏支持者がシンボルカラーのオレンジを使用していたことから、”オレンジ革命”と呼ばれています。

当選して大統領に就任したユシチェンコ氏でしたが、政権発足以降、政権内部で仲間割れが起きます。その結果は、親露派ヤヌコーヴィチ氏を利することとなり、ヤヌコーヴィチ氏は首相に就任することになります(日本と違って、首相と大統領がいます)。

2010年の大統領選挙では、親露派ヤヌコーヴィチ氏と美人で話題になったティモシェンコ氏の争いとなりましたが、ヤヌコーヴィチ氏が勝利、ウクライナが親露派に率いられることになりました。

市民がヤヌコーヴィチ大統領に激怒!

ヤヌコーヴィチ大統領は親露派です。ロシアの嫌がることはやりたくありません。
ウクライナはEUと貿易協定を結ぶことで合意し、あとは調印をするだけの状態まで漕ぎ着けますが、ヤヌコーヴィチ大統領は土壇場で「EUと結ぶとロシアが機嫌を損ねる」と考えたのでしょうか、合意した貿易協定への調印を拒否します。

これに市民が大激怒!治安部隊が出動するほどの大騒ぎとなりますが、収まることがありません。
結局、ヤヌコーヴィチ大統領は行方をくらませ(ロシアに亡命?)、ヤヌコーヴィチ政権は崩壊します。(2014年ウクライナ騒乱)

ロシア、クリミア半島を強奪。そして再度、今度は首都へ。

親露派のヤヌコーヴィチ政権が崩壊、子分ではなくなったロシアのプーチン大統領はクリミアに侵攻、武力でクリミアを奪いとる暴挙を行います。ウクライナ騒乱と同年の2014年のできごとです。(クリミア危機)
”力による現状変更”の試みに欧米民主国家および日本は反対、それまでロシアを加えた8ヶ国で行っていた主要国首脳サミット(G8)からロシアを除外、これ以後2022年現在までG7となりました。

ウクライナ国内では、新欧政権と親露で分離独立派による争いが続きます。
この争いは、ウクライナの当事者たちに加え、ロシアとフランス・ドイツが仲裁に立ち、停戦協定を結びます(ミンスク合意)。

2019年、新たな大統領が誕生します。
コメディアン出身、2022年現在、現職であるゼレンスキー大統領です。

ゼレンスキー大統領は、”NATOへの加盟”と”クリミア半島奪回”を目指すと公言しています。
そして2022年2月、ついにロシアが首都を目指して侵攻を開始します。

ロシアに翻弄されてきたウクライナがまたしても、ロシアによる暴力に苦しんでいます。

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