赤がredとは限らない?

言葉

英和辞書や和英辞書を引くと、単語ごとに対応する日本語や英語が書かれています。
日本語と英語の単語すべてが全く同じ意味で対応しているとは限りません。

もしかしたら”赤”と”red”は全く同じではないかもしれません!
あくまで例えです。”赤”と”red”は違う意味ということではなく、そのように決めつけることができるのか?
疑問を考えてみました。

色を表す単語

“赤”という日本語は”red”と翻訳されます。
さて、”赤”と”red”は全く同じ意味を表す言葉なのでしょうか?

確かに、”赤”と”red”を表す色の範囲はかなりの部分で重なるでしょう。
でも明るさや濃さを少しずつ変化させていった時、日本人の感じる”赤”と、英米人が感じる”red”に、もしかしたら違いが生じているかもしれません。

日本語に”えんじ色”という色があります。これはもしかしたら、英語では”red”かもしれません。
“dark red”と単語を加えて説明するかもしれません。
同様に、紺色は”blue”、または”dark blue”となるしれません。

もう1つ”紫”を見てみます。

英語では、赤に近い”紫”(赤紫)を”purple(パープル)”、青に近い”紫”(青紫)を”violet(バイオレット)”と言うそうです。
これを日本人はどちらも”紫”と表現するかもしれません。

上記はすべて例えです。
色を表す単語で考えるとわかりやすいと思いとりあげました。

外国にない言葉は説明が必要

日本語にある言葉が、外国語にないことがあります。
また、外国にある言葉が日本語にないこともあります。その場合、説明が必要です。

新庄剛志選手(野球)がアメリカでプレーしていたときの話です。
外国の記者相手に新庄選手は、「自分は九州男児だから・・・」と話したそうです。

「九州男児」をそのまま英語にしても、意味が伝わりませんね(^^;)
仮に”Kyushu”という日本の島を外国人記者が知っていたとして、”Kyushu boy”と訳したり、”boy from Kyushu”と訳しても、「だから何?」となりますね。

日本人には、「九州男児は勇ましい」等々の共通のイメージがあり、言いたいことが伝わります。
それを知らない外国人に出身地だけを言っても説明が必要です!

明治期に作られた大量の日本語

明治期に開国した日本には、西洋からそれまでに日本にはなかった大量の言葉が流入しました。
近年は”カタカナ語”として使うことが多い外国由来の言葉ですが、当時は一つ一つ新しい日本語を作っていました。

例えば”economy”と言う言葉を”経済”と訳したり、”book keeping”を”簿記”と名付けたり、会計用語も”借り方”や”貸方”など新たに作っていきました。
「”貸方”と”借方”、なぜこんなにややこしい言葉にしたのか?」と問われても、「福沢諭吉先生がそう翻訳したから」としか言えません。
他にも”phylosophy”と言う言葉を”哲学”と名付けたり、例を上げればきりがありません。

このとき、西洋の単語から大量の新たな日本語の言葉を作り、日本では高度な教育が可能となりました。
非欧米の国で、これから発展するタイなどの国では、高等教育は母国語のタイ語ではできないため、大学生はみんな英語で学習するそうです。
これが、日本の英語力の低さの一因であるとも言われますが、母国語で高等教育ができるという恵まれた環境でもあるのです。

不慣れな外国語で話す

外国語の勉強を根気良く続けると、少しかもしれませんが、話せるようになります。
私は中学英語に毛が生えた程度の単語を駆使して、なんとか簡単なことは話せるようになりました。

そうした時、自分が話すことは自分が言える範囲のことになります。
事実を伝えるなど、簡単なことしか話せません!

抽象的な話となると伝えるのが難しい。なんだか、考える能力まで自分の英語レベルに引き下げられた感じになります。気のせいでしょうけどwww

結論

ある言語の文章を異なる言語に訳そうと思うと、当然、言葉を置き換える必要があります。
その時その時でふさわしい文章に訳しますが、その中で使われているそれぞれに対応する単語は、似た意味を持っているかもしれませんが、実はまったく同じ意味とは限らないのです。

そもそもその単語に対応する単語がその言語にない場合には、説明などを添えて訳す必要も出てきます。
翻訳は1対1で単語を置き換える作業ではないです。

「違う意味かもしれない」、それを自覚することが大切なのかなと思いました。

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